014/100 「心の専門家」はいらない / 小沢牧子

「心の専門家」はいらない (新書y)

「心の専門家」はいらない (新書y)

今日の課題図書。採点休みにこういう本を読むってのはなかなか有効なつかいかただ。

著者は臨床心理学を修めながらその手法に疑問を抱き、かといって離れてしまう事をせずに、ずっと臨床心理学が抱える問題点について考えているひと。序章の2ページめで「人と人の関係に心理学的関係を持ち込む事が問題」とか言っちゃう。昨今の「心の問題」とか「心のケア」という言葉がはらむ問題点をあきらかにして、どうしたもんかと問いかける。この本の中に、問いに対する明快な答えが用意されているわけではないのだけど、新たな視点として重要な指摘をされたような気がしました。現場ばっかり見てると、良くも悪くも視点が固定される。

カウンセリングにかかることはもうずいぶん普通になって、今の学校の中にもカウンセラーがいて、実際に仕事をしている姿を見ると(そしてそこにいる生徒を見ると)その意義に疑問を差し挟むことはできないのだけど。自分がほんの触りだけ臨床心理学を学んだときの、かすかな違和感みたいなものを思い出した。
「傾聴」という言葉に代表されるカウンセリングの手法そのものについての問題提起、なにごとも対価を支払えば解決できるという社会の風潮(自分の生き方を決めるのまでアウトソーシングするのかい?って!)、結局は優しい振りをした人間管理でしかないんじゃないか、とか。さまざまなことがらをばっさばさと斬っていくのだけど、最終章だけがやたら温かくてクラっとした。メモ的に雰囲気だけ書き出しておきますが。

人を支えているのは「いつも」の生活で、それになじんでいることが何よりの力になって。その「いつも」が壊れたときに、まったくなじみのない「心の専門家」になにができる?不運に見舞われた時こそ、いつものなじみの人が手を貸すとか、お茶を煎れてあげるとか、話を聞いてあげるとか、出来る範囲のことをする。「下手に素人が慰めるなんて…」といって見知らぬ専門家に預ける前に、数十年前には当たり前にできていたはずの、そういうつながりを取り戻せやしないのか?

あと、職業柄つよくこころに縫い止めておきたいこと。先生って「先に生きてる」って書くんだぜ。

若い人びとにカウンセリング依存が進行するのは、年長世代が自分たちの生き方を見せたり何気なく語ったりしていないことともかかわりがあるのだ。「心の問題」というのは、心理学的知見や技法の事ではなく、現実にはしょせん生き方の問題の事である。…より強く求められているのは、平地で対等に向き合う姿勢を持ったおとなたちであるのだと思う。

本の内容にはひとかけらも関係ないのだけど最後にひとこと付け加えておけば、この本を薦めてくれたひとことは「ああ、小沢くんのおかあさんの本は読んでる?」でした。小沢家恐るべし!なんとなくEcology Of Everyday Life 毎日の環境学を聴きながら読んでしまったよ。