日本×画展 クロストーク しりあがり寿×中村ケンゴ at 横浜美術館

huili2006-07-17


午前中はパシフィコで私学展(笑顔で広報活動)、午後からは美術館というのはここ数回のお決まりパタン。もとより行くつもりだったのだけど、クロストークとワークショップがあるというので時間を調整して向かうことに。

この展覧会は、日本の古典絵画から近代の「日本画」へと受けつがれていた美意識や主題、・技法のうち、今日の「日本画」が捨て去っていったもの、見失ったものに新たな価値や創作の手がかりを見出し、制作に取り組んでいるアーティストを紹介するとともに、その創造活動を支援します。


と銘打たれた企画、表現の手法も形体も全然違う6人の作家が集う展示。おそらくはその中で対極にあるであろう二人のトークはたっぷり一時間、非常に濃くて深いものでした。展示室のなかで車座になってあっちこっちに飛ぶ話を追いかけるのはとても刺激的でした。トーク終了後もういちど展示を見に戻ったら、なんだかもう誰かの部屋みたいな空間に感ぜられたくらい。気になったこと、気に入ったことをいくつか羅列しておきます。

  • (自分の書きたいものと他人の求めるものの溝はどうやって埋めればいいか…という質問に答えて)小指の先(ゆびきりげんまん)でつながってればいい。まったく切ってしまうと食えなくなるし、どっぷりはまりこんでも息苦しくってしょうがない。
    • 前日のカシワ氏とまったく違う答えでにんまり。どちらが是か非かを問うつもりはなくて、「表現」という形態ひとつ取ってもその在り方はまさしく千差万別であると。自分の心地いい立ち位置を探しながらやらなくちゃね。
  • 人工的な環境に囲まれて暮らすワタクシどもは、もうオリジナル偏重という呪縛から解かれてもよいのかも。音楽の世界ではサンプリングとかリアレンジとかカヴァーとか、すぐれたオリジナルを模倣する方法はたくさん生み出されているけど、アートの世界ではまだまだ。なんとか許容する仕組みはないものかね。
    • 知らなかったんだけど、しりあがりさんは初期の頃にほとんど模写に近いような作品をいくつも出していたらしい。中村氏には手塚作品のキャラクタをたくさん集めた作品なんかもある。

  • サンプリングを是として作品を作る、反オリジナリティを標榜した作家はどうやって他人との差異を見いだすのか。
    • リ・サンプリング。他人との差異こそがオリジナリティなわけで。そこの矛盾をどう昇華するのか。

  • 鉛筆によるデッサンと、筆を持って描かれるデッサン(のようなもの)の違いはきっとある。いわゆる美大で叩き込まれるのは前者なわけで。世界の認知のしかたがどれほどに西洋的な基準に傾いているかと。
  • コドモの描く絵がすばらしく見えるのは、身体と指先が同期して線を描くから。オトナになればなるほど、美術教育を受ければ受けるほど、大脳の知覚に指先が調教されていく。その調教からどうやって抜け出していくのか。
    • そこで中村氏は外界のものをよすがにして、しりあがり氏は「じぶんが呼吸をするように」描くことに向かった、と。
  • アートは人生における基礎研究。四半期タームとかで評価されることを目標にするのではなく、もっと長いターム(それこそ100年とか)でこそ意味があるんではなかろうか。
  • 日本画はそもそもとてもPOPな表現だったはずだけど。
  • 「アーティストだって?すごいねえ」「そんな仕事さっさとやめてまともな仕事をすれば?」賞賛も否定も、特別視することは無視に等しい。もっとアーティストに純粋なリスペクトを!


展示をひととおり見たあとに、中村氏の「マイ・スピーチ・バルーン」ワークショップに参加。おおきな吹き出しに言葉を書いて一緒に写真を撮る、というものだけど、「私の望むもの」というお題にしばし考え込んでしまう。「明るいうちに帰りたい」とか書くのもなんだかねえ…。結局はあたりさわりのない事を書いてしまいましたが…。作品として展示されるのがいつからなのか訊いてくるのを忘れてしまった。美術科からタダ券をいただいているので、会期の後半にもう一度行こうっと。