途方に暮れて、人生論

途方に暮れて、人生論

途方に暮れて、人生論

 人生とは自分が生きることではなくて、人によって生きられるものなのではないか。それも傑出したヒーローでなく、自分のような人によって生きられる。
 人が自分の代わりに生きてくれたり、自分に足りない分を人に託したり、あるいは自分はたまたま今の仕事をしていると感じたり、人生は不確定要素だらけで、強い意志で今の自分になったわけではなくて、家族や友達やそれらいろいろな力学の産物としてこうなった。
 軋轢や影響や憧れがなかったら今の自分になってはいなかっただろうけれど、それらが自分を決定的に変えたわけでもない、というような。


例によってGomes the Hitmanを聴きながら。山田さんと同じように途中で置くことができなくて、rippleをふたまわり弱で読了。

保坂氏が持つ世界との距離の取り方は独特なのだけど、時折ぴしゃりとツボに入ることがある。声高に持論をかたるわけではないけど、そうか、そうだったのか、と膝を打つような。 こと人生の見方については膝を打つ回数も増える。たしかに今の自分がいる場所について、常に希望や未来を持って進んだ結果がここである、とは言い切れない。だけどそれが即不満である、という二元論でバッサリやるつもりもない。

世間で美徳とされる「目標を持ってそれのために全てを捨てて努力する」というのは、実はワタクシがもっとも嫌う信念で、岡本敏子さんが「だって、それじゃ努力してる間は死んでるようなものでしょ?」と仰ったときにはかなり痛快な気分になったのを覚えている。本書にある保坂氏の「一年前の自分が立てた課題に一年間縛られているとしたら、その人は一年間成長していないことにならないか?」というのも結構いいなあ。もちろん努力そのものを厭うわけではないのだけど。

こういうことをぐるぐると考えられる本はステキだ。最近とみに生活がルーティン化してるので、刺激が欲しいのですよ。

このエッセイは既に発表されたものを集めたもので、web草思の方は公開を終了してしまっているけど、半分くらいは氏の公式ページで読むことができる。ここのテキスト群からタイピングテストの問題文を拝借したこともあった。この本が気になるひとはちらちらと眺めてみるといいと思います。