005/100 「仕事の学校」報告書


■ 第一回仕事の学校 報告書

またも id:tamekkoせんぱいのところよりクリップ。

秋祭生みの親(ここが一番接点として近い)、元楽天副社長、元校長、現音別社長であるところの本城センセイが去年の夏に行った「仕事の学校」という高校生対象の5泊6日ワークショップの報告書を読む。ちなみにワタクシが先生業のまま転職するとしたら、彼がこれから作るであろう学校以外にない!と思ってます。

このプログラムの存在を知ったのは開催後だったのだけど、あまりにも行きたくて地団駄を踏んだ。だって、プロジェクトの発端になったのが 自分の仕事を作る/西村 佳哲 だっていうんだもん。ワタクシ、この本を胸に抱いて、さんざ周囲から「オマエには向いてない」「他にも仕事あるじゃん?」と言われ続けた教職に就いたのです。そんな本から生まれた「仕事と教育」 のプログラムなんて、面白くないわけがない。うっかり涙ぐんだりしながら読みました(しかも、職員室で)。
「高校生と仕事」というトピックでまず頭に浮かぶのが、自分の出身高校のこと。うちの高校は県下初の総合学科設置校で、「産業社会と人間」という必修科目では、職業体験(煎餅工場の検品と、印刷工場の裁断作業。「ここの耳落とし、指も落ちてるから気をつけてな」と笑うおっちゃんの中指はちょっと欠けてた!)や、多種多様なゲストレクチャーとか(卒業後、講師としてお呼ばれした事もありましたっけ)、老人ホーム/施設での介護体験とか、「将来のわたし」をクラスで発表し合ったりとか、いろんな事をやって考えさせられた。「めんどくせええ」とか言いながらも、結構楽しかった記憶があるし、なにより大学進学率が20%くらいの学校では、今いる学校とはずいぶん仕事に対する思いが違ったはず。あっという間に目の前の問題、だもんな。

そう思うと、今の学校の「進路指導」っていうのはやっぱり「大学進学指導」でしかないのだよな。都会の中高一貫私立女子校、というステータスを鑑みるとまあ実質的なのだろうけど、あまりにも「仕事」ということに対しての意識付けがないままに進路≒大学を選ばなくてはいけないのは、ちょっと残酷な気がする。国際関係の仕事がしたい(海外研修が楽しかったから)、看護士になりたい(小さい頃優しくしてもらったから)、学校の先生になりたい(まあ、ありがたいけど)…。自らの引き出しの少ないことさえ気づかないままに、人生の選択を強いられるのはさぞ悩み深かろう。そこがファイナルアンサーではない、ということもわからないままでさ。竹を割ったように、同じ将来を思い描いて悶々とする姿をみていると、ひょいっと背中を押して新しい世界を見せてあげたくなる(ま、たまにやっちゃうのだけど)。

こういう学校ではない教育職のひとが行う実践は、本当に魅力的でうらやましくて、でも「まあ、学校現場だとなかなかこんなに準備に手をかけられないよ…」なんて嘆息/自嘲してしまいがちなのだけど。でもな、それじゃだめなんだよなあ。学校って空間でしか出来ない事もあるはずだし、なによりワカモノと毎日ワーキャーできるのが現場の強みなわけで。ロールモデルとして見せるにはいまいち不良品気味ですが、ま、それもそれでよいのだろ。

うちの情報科のカリキュラムは、どんな経緯からかキャリア教育を兼ねる部分も多いのです。ということは、ワタクシがびしっとすれば少しずつ変えていけるものなのよね。学年の先生方はおカタくってなあ、という前に、ええと、がんばります。