オンガクとの付き合い方

音楽というのは「記憶しよう」という努力によって記憶されるものではなく、「音楽を受け容れる構え」を取っている人間の細胞の中に浸潤して、そこに完全なかたちで記憶される。


聴くでもなく、聴かないでもない・・・というような感じでぼんやり音楽に身を預けて、仕事の手を動かしたり、別のことを考えながら、たまに足で拍子を取ったり、鼻歌まじりにハモってみたりしているときがおそらくもっとも音楽情報の受容感度が高い。


そういうふうに聴いた音楽(や聴いた言葉)は私たちの細胞にしみこみ、私たちはしばしばそれを一生忘れないのである。

内田センセイがまたナイスなことを仰っているのでちょっとつまみながら引用。無人島レコード の後半部分。大瀧師匠と同じように、ワタクシも10代後半がそういうドリームタイムだったかなあ。90年代特集にあれだけ心震わされたのはきっとそのせいで、あの頃の楽曲はコーラスパートだのちょっとしたブレイクだの青くさい思い出だのがぜんぶいっしょくたになって記憶されている。

オンガクを聴くのが仕事だった一時期は、明らかに「記憶しよう」という気構えだけで聴いていたんだろうなあ。たくさんたくさんたくさん聴いてた割に、しみこんでるのは足繁くライヴに通ったバンドばかりでさ。ライヴの開演前なんて、ほんと「受け入れる構え」をとるのにふさわしい時間だろうし。そりゃ染みる。

のめり込みすぎて、逆に引きすぎて。最近ようやくいい距離感に戻れてきた気がします。よしよし。内田センセイはこないだも 村上春樹氏の朝ご飯 というエントリで「同期」というキーワードについて素敵な見解を示しておられる。最近すっかり好みであります。