現代語訳 般若心経

現代語訳 般若心経 (ちくま新書 (615))

現代語訳 般若心経 (ちくま新書 (615))

しかし脳は、こうしたはっきりとした概念の物差しで単純化して事態を把握したがる、という事なのです。

ピンとくる、なんていうのは、たいていあり合わせの概念にピッタリはまることですよね。私は概念が役に立たない世界を描写しようとしているわけですから、ピンとこないのは仕方ないのでしょう。

「わかる」というのは「分ける」ことによって成り立ちます。

ああ、面白かった!最近ますますちくま新書のヒット率が上がっています。筆者の顔に見覚えがあってふと手にとり、ぱらぱらとページをめくって「おや?」と思い、数ページじっと読んだらこりゃ大変。家に帰る途中のモスでついつい読破してしまいました。上にひいたような文章に既視感のある人も多い気がするけど、これらも「現代語訳」の中にあるテキストなのよ。

そもそもお経がある場面を表した物語形式になっていることからして驚き。全体が呪文みたいなものかと思っていたんだけど、観音様が弟子にいろいろと話を説いて、難しい事を前置きで言いながらも、最後には「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」って唱えるのがいちばんの修行です、意味なんて分からなくてもいいんです!て言い切る観音ばばあ(原文ママ)。うわあ、おもしろい!
これは「解説」ではなくて「現代語訳」なのだけど、たった262文字のお経をおもいっきりポップに噛み砕いて書かれている。この手のものは信仰心がうすい人にとってはどうしても雲をつかむような話になってしまうけど、仏教思想を理解するための補助線が西洋科学だの哲学の世界から持ち込まれているのがとてもいい。

脳の認知のしくみとか、自己認識の在り方とか、名付けの問題とか、因果律だとか、量子力学の視点だとか。世俗にまみれたワタクシたちが教えを理解するには、そういう概念がかなり重要なわけで。と、いいつつそんな風に既知の概念に縛られていてはいけないよ、ということを仰ってるのだけどね。むむ。ちなみに一般的な訳はこんな感じ。これだけよんでもなにがなにやら。

あと、最後の解説の部分で「いったん記憶された音の連なりは一切の思考を通さずに出てくる」という書かれているのが気になる。暗唱と朗読では脳の活動領域が違うという話もあるけど、みみっちく物事を分類したがる脳をすり抜けて、音のままの教えをからだで唱えなさい、と。なるほどねえ。谷崎の文書読本にも似たような事が書いてあったなあ、と思い出しながら。ここから白文つきのflashで聞けます(便利な時代だ)。ちなみにこのFlash、般若心経のあとには光明真言。初めて聞いた時の節回しがえらくメロディアスで、いちばんのお気に入り。

はてな言及もamazonレビューもいわゆる「仏教好き」なひとしかされてないぽいのだけど、もっと幅広いひとが楽しめそう。最近の保坂和志が好きな人とか、池谷裕二くらいのフランクな脳科学とか、中沢新一ふうの世界の切り取り方が好きな人は、この視点をとてもおもしろく読めると思いますよ。ああ、とてもほぼ日コンテンツ向きな気がする!

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追記:

  • The Heart Sutra Mash Up - 般若心経マッシュアップ オーディオブックであるかなあと思ったけど、よりによって"Kukai with His Friends"って!かなり反則のマッシュアップです。買っちゃった。
  • もっと普通のお経も聞きたいなあと「お経 音声」でググって松尾山聖福寺のを聞いたら鳥肌が立った。声やフレーズに対する意識が明らかにほかのものとは違って、ビブラート気味に二声でぴったりハモリ倒す4分42秒。なんだこれは!後半はリズムこそ一定であれ、非常にグルーヴィになってくるのでちょっともっていかれそうです。ひー。よくよく見るとこの本の著者の玄侑宗久師と同じ宗派なのねー。妙心寺派というのはとくに音の部分に意識的な宗派なのかしら。