『川の地図辞典』多摩東部編出版記念ウォーク

国分寺駅→だんごの輪島→恋ケ窪東遺跡・柄鏡型敷石住居跡→日立中央研究所(野川源流)→伝・村上春樹夫妻旧居跡→姿見の池→恋ケ窪用水跡→東福寺・一葉松傾城墓→東山道武蔵古代官道跡→都立武蔵国分寺公園→国分寺崖線→真姿の池湧水群→武蔵国分寺跡→史跡公園→七重塔跡→タンポポハウス→桃の湯裏→イグネ脇→駐在所前→市民農園→もみじ川→殿ヶ谷戸→ピーター・キャット跡→旧岩崎邸正門・ほんやら洞前→都立殿ヶ谷戸庭園→カフェ・デ・ロジェ→国分寺駅

之潮さん主催の地形散歩に行ってきました。上記ルートをていねいに歩く四時間半+お茶タイム。歩きはじめの時に@sohsaiが「縄文の遺跡跡に都営団地が!」と言ってるのに「またうまいことを!」とか返してたんだけど、これはあながち冗談でもなくて、大規模な開発は発掘調査の始まりであり(遺跡側からの発言)、開発は発掘調査との「戦い」であると(開発側からの発言)。「掘ったらなんか出るかも」って発想自体がなかったので、新鮮すぎるものの見方!

古代東山道武蔵路というものを知る(この歩道の幅ぜんぶ!)。そもそも古代道ってものを全然知らなかったし、それが遺構として残りきちんと発掘されてることにも驚いた。でも、整備されてからずっと道として使われ続けなかったというのにもまた意味があるんだろうな。「道には二種類あって、それは地形道と非地形道。中央権力ができると、権力のデモ的な巨大な路ができる。作るだけでなく、維持することが権力の証」というお話に深く納得。

武蔵国分寺公園の設計をした@quinquepetaともご一緒していたのだけど、「40cm以上掘ったり70cm以上盛る時は試掘をするべし」というお達しがあったそうで。もちろん発掘調査にはコストがかかる=開発費が削られるので、そういった制約があったり、逆に掘ってみてなにもでなかったからこそ、勾配のある設計ができたりとか(国分寺公園南側のスリバチ状の広場はかつてフラットで戸建て住宅が並んでたんだって!)。敷地内の雨水が開発前と同じように湧水として流れるような仕組みが用意されているのにも驚いた。いやはや、ランドスケープ・アーキテクトって恐ろしい。

スリバチ学会タモリ倶楽部出演時の「スリバチの空は広い」という名言を身をもって体験できたのもよかった(ご本人の発声で!)。ほんとうに空が広く見える!しっかり練られたコースどりと地形はもちろんのこと、数十年前から古代にまでさかのぼる史跡や伝承のていねいな解説のおかげで、初めて歩く街が一周したあとはぐっと身近で立体的なものになった。いつものぶらぶらフィールドワークとはちょっと違う感じ。その辺のものに気を取られておしゃべりしてるとあっという間に迷子になったしね…。ご迷惑をおかけしました。

千駄ケ谷富士詣

夕方の予定までちょっと時間が空いたので、一度行ってみたかった千駄ケ谷富士を案内してもらう。新宿から道草をたっぷり食いつつ歩いていったら、突如目の前に鬱蒼とした木立。敷地が神社/社務所富士塚でほぼ三等分されているというぜいたくな立地でした。大きいのに熊笹とか石楠花が植えてあったりして、ディテールもすごくしっかりしてる。登って降りてぐるり眺め回して、やっぱり正面の鳥居から見るのがいちばんかっこいいことを確認。ああ、これ、作るの楽しかったろうなあ。それにしても満開の桜の下で富士登拝ってどれだけ日本人だ。すてき。

次の目的地を決めずに歩き出して「こういう時が一番遅刻するんだよね」なんて言ってたら案の定。気がついたら突拍子のない場所にいて、慌てて現在地を確認して乗換案内確認して走る羽目に。なんのためのiPhoneだ、なんのためのGPSだと(いや、受信専用だし…)。

で、折よく3/14の富士塚ナイト@カルカルのライブレポートが公開されました。二年前にステージデビューしたのに引き続き、ついにライターデビューです!順番逆じゃね?か言わない、そこ。公開にともなって、有坂さんのブログでも「富士塚ガンダム」の謎解きが始まってます。いやあ、奥が深い。

目黒川クルーズ

集合時間にはまだモノレールのなか、駅を出ても集合場所がわからない、徒歩五分って冗談じゃね?と数々のピンチを乗り越えて、息せききってなんとか出港には間に合った。ていうか後発部隊の幹事役を仰せつかっていたはずなのに…。ごめんなさい。まあ、みんなちゃんと揃ってたし!

ちょうど暗くなりはじめの頃に出港して、折り返しの頃にはとっぷり日も暮れて夜景の中を戻ってくる、といった時間感覚。いちおうは「目黒川夜桜クルーズ」だったはずなんだけど、みんな桜そっちのけ過ぎ…。早い便だとまだじゅうぶんに明るかったので、見えたものも違ったのだろうな。オフィス街の夜景やいくつも川を横切る鉄道のあかりにうっとりしっぱなし。せっかくいただいたビールをあけなかったのは寒風吹きすさぶせいだけじゃない。

天王洲ピアから出て、すぐに目黒川に入る。2月には寒緋桜が満開だった荏原神社の太鼓橋ふうな橋をくぐって、京急新馬場駅第一京浜を連続して通過。東海道本線、ちょっと高い東海道新幹線の向こうには山手線。山手通りを抜けてほどなくするともう大崎で、巨大なオフィスビルがたちならぶ。もう一度山手線をくぐるとネオンが賑々しくなる五反田で、東急池上線のホームはちょっと川の上にはみ出してる。やたら幅の広いのは国道一号で、橋桁がやけに黄色い首都高目黒線が高いところを走り抜ける。営団の車両が走ってる、と思ったら東急目黒線で、ちょうど目黒雅叙園のあたりで「この先は長靴があれば歩いていけます」と言われるほど浅くなって、涙をのんで折り返し。中目黒のあの桜並木は流石に下から見たかった。来年はゴムボートでも出すか。

同じルートを辿っての帰路、最後の橋をくぐった瞬間に潮の香りがしたのがとても印象的。「あ、ひらけた」って感覚的にわかる。水系が繋がってるわけじゃないんだけど、今日は源流から海まで一日かけて旅してきた感じ。うちあげはさくら水産だったしね。外洋まで漕ぎ出したようなもんです(てきとう)。