大山顕 トークイベント『まちの断片』 at 川口メディアセブン

知っているようで知らない身近なまち・都市のはなし。
独自の視点で探求し、発表されている方々をお呼びして、まちや都市についてのさまざまな入り口を紹介します。現在のまちから読み解く様々な研究者の話を聞いてみませんか。3回目は普段見慣れた団地や土木構造物の風景を鑑賞物へと変換してしまう大山顕さん。今までに気づかなかった側面を「見ること」に集中することでその魅力を引き出します。

ついに大山顕デビュー。公共施設のシリーズイベントなのでちょっとは一般向けかな、と思って行ったんだけど、全然そんなことはありませんでした。いつも目にする記事通りにぶっとばしてた。ちなみに大山氏ってこういうひと→ベスト盤的デリポ記事。

90分の時間枠を意識的に踏み破りつつ、延々と団地や、高架下建築や、工場のスライドを鑑賞。総ざらえの大盤振る舞いでした。しかし、コンクリ工場の中に郡山のセメント工場があって動揺した。自分の原風景とも呼べるエリアの光景が、何の脈絡もなくポツンと切り出して提示されてる不思議。ま、内容自体はデリポなんかで見たことのあるものがメインだったか。裏話コミの本編も楽しかったですが、質疑応答での話がなかなか興味深かったです。先日laud salonでも聞いた日本橋の景観がまたトピックになっていたり。
彼の興味の方向は「建築の論理よりも、Xが勝っているもの」だそうで。Xに「大量生産性」が代入されたものが団地だし、「土地の制約とエンジニアリング」がジャンクション、「住民の勝手なカスタマイズ」が高架下建築であると。そういう意味で今一番興味があるのはX=「経済と流通」である郊外型のジャスコとのこと。

なんだかとっちらかってるというか、脈絡なくコレクトされているように見えるものにも、きっちり筋が通っていていろいろ納得。今までひっかかってた「なんだか表象的でシニカルなんだよなぁ」という違和感も、彼自身がかなり意図してやっているのだろうと感じた。

所謂建築家のいう「よい建築」は、景観に対する「善い」である場合が多いのだけど、それが必ずしもあらゆる人に対して「良い」とは限らない。よく引き合いに出される日本橋の景観(この辺参照)についても、「それが当たり前の風景だ」と思ってる人に対してはなんでもない。好きか嫌いか、だったらお好きなように論じてくださればいいのだけど、と。

彼が団地を撮るときには極力生活感や歴史を排除しようとしているのに対して、高架下建築の場合は、まずその成り立ちからして生活感や用途の変遷が必須なわけで。そのあたりのブレを「自分の鑑賞眼がまだ未熟だから」って言いのけるのに笑った。個人的には、モノに対する歴史や由緒(いわゆる「善い」ものに限らずね)、徐々に変化していくまちの積層感が好きだったりするので、団地よりは断然高架下にそそられる。

あ、あと、落書きを消した後が方形に重なり合ってるのを「パウル・クレーか!」、取り壊された高架下建築の天井に残る柱固定痕を「モンドリアンか!」とツッコんでいたのが妙にツボ。そりゃそうなんだけど。

しかし、大山氏とジェッジ藤戸氏はあらゆる面で相似しすぎてビビる。ルックスが近しい、というのは周知の(どこの?)事実でしたが「本分と本業が10年かけて逆転→カタギを辞める」とか、物事に対するやりこみぶりとか、服はレディスサイズを愛用とか、高橋メソッド的なスライドの作り方とか、人をくったような語り口とか似過ぎ。ジェッジ基調講演かと思ったもん。生き別れのナントカとかじゃないんだろうか。