そうさ僕は 今は気分がいい

男・桜井バージョンでどうぞ(名カヴァー!)。

だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。「気持ちよさ」は知識や技能を持っているので「まことに便利だ」という仕方で表現してもよいし、推論や想像で思考が暴走するのは「ぞくぞくする」という仕方で表現してもよいし、身体の潜在能力が発現して「わくわく」している状態で表現してもよい。要するに教師自身の心身がアクティヴな状態にあって、「気分がいい」ということだけが確保されれば、初等中等教育の基礎としては十分なのである。

教師が知的な向上心を持っていて、それを持っているせいで今すでに「たいへん気分がいい」のであれば、生徒たちにはそれが感染する。教師たちが専門的な知識や技能を備えていて、そのせいで今すでに「たいへん気分がいい」のであれば、生徒たちは自分もそのような知識や技能を欲望するようになる。教育の本義は「子どもの欲望」を起動させることである。

内田樹の研究室より。教育職のマイミク諸氏(あるいはあらゆるオトナのみなさん)、これ、忘れないようにしようぜ。こういう事をいうウチダ先生は好き。個人的には、このエントリの後半のくだりにもぐっと来ました。人生はミスマッチ、ね。