ウィル・リヴ・アンド・ダイ・イン・ジーズ・タウンズ

自分は洋楽というか「日本語ではない言語で歌われたうた」の歌詞について、無頓着に過ぎる。多少なりとも英語はわかるはずなのに、歌われてる意味を理解しようとする意志がないみたい。歌詞をぜんぶ覚えて熱唱できるような曲でも、音のつらなりとして覚えてるようなもので。日本語に関してはえらくジャッジが辛かったり、思い入れがうなるほどあるのに、英語っていうだけでここまで無頓着になれるのがちょっと可笑しいくらい。

なんてことをおもったのは、以前Tomorrow'sにも書いた The Enemy のデビューアルバムを買って、しげしげと歌詞(とうすっぺらい対訳)を眺めたからで。ワーキング・クラスの憂鬱と鬱屈、望まない生活への不満。今の自分の生活がすべて完璧に満たされてるとは言わないけど、彼らの言葉に共感できる部分はとても少ない。"Had Enough"とも"Away From Here"とも叫ぶつもりはないし、"We’ll Live and Die In These Towns"なんて諦観まじりにつぶやくこともない。

だけど、どんなネガティヴなことを歌っていても、彼らの奏でる音はとても魅力的で、そわそわするんだよな。むにゃむにゃえいご(というよりむしろハナモゲラ語)で歌ったりもして。サマソニでは早起きして彼らのアクトに駆けつけるのだと思います。世界中に溢れるたくさんのオンガクに対して、こういう聞き方ができるのはしあわせなのか、そうでないのかしら?

ま、こんなことを長々と書きつつも、英詞にだって、じっと向き合ってほろりとしたり、ふわりと元気になったり、カタカナ英語で大合唱して歓喜に打ち震えたりもするんですけどねー。