僕とアンフラと、ときどきゴッチノッチ。(2)

Every single day red HELEN why not?

「僕はネオアコで人生を語る」なんて、いささか大仰なタイトルはゴメスのデビュー作、GOMES THE HITMAN in arpeggioの1トラック目ですけれど、あらためて自分の10代後半からを振り返ると「僕はギターロックで人生を語る」と言ってしまってもいいのかもしれない。前回からの続き、1999年ごろからのお話。
海外ではブリット・ポップの狂乱がすぎて(ちょうどLIVE FOREVER [DVD]の頃ね)、もっとラウドなものだったり、アイドルっぽいものが脚光を浴びてくる時期だったのだけど、国内の、特に下北沢界隈においてはギターポップ/ロックがもっとも華やかなりし時代だったのでした。右を見ても左を見てもCD出します!事務所決まりました!メジャーデビュー!なあんて、今思えばギタポバブルとでも言うしかない。だって、以下のリスト、全部1999/2000のメジャーデビュー作ですもの。

我らがラブストも、この勢を駆って祝!メジャーデビュー。メジャー前のミニアルバムは、なんと石田小吉プロデュース。個人的には夢の競演でございました。ゴリッゴリの爆音アレンジだったHAWAIIが、えらくスペーシー且つ轟音、という不思議なにおいになっていたのがあまりにも衝撃的。一作のみで石田氏の手を離れるのですが、数年後にまたご縁があることに。

メジャーデビューシングル every single day → red → helen と立て続けのシングルリリース。相変わらず週末バンドのくせに、ものすごい勢いでライヴとレコーディングをこなし、海外でのトラックダウン、SXSWへの出演(snooserに載ったりしてびっくりしたのもこの頃か)と、狂乱の季節が過ぎていったのでした。

その渦中にあって、彼らのサウンドはどんどん荒削りで骨太なものに変化。1st, 2ndのころにはあまり全面に押し出していなかったグランジ好き、シューゲイザー好きが炸裂。ま、それでも基本はあくまで美メロ。どれだけシャウトしてようとも、元のメロディのうつくしさは隠せないのでした。東北から関西まで、えらく熱心に追いかけていったものでした。ムーンライトながらと高速バスが心の友。

そして2000/5、クアトロワンマン&メジャー決別宣言。アルバムリリース前に決別宣言て、ちょっとロック過ぎやしないか。ふつうに考えると、そこは「レコ発ワンマン」っていうんだぜ。ま,オトナの事情とやらはいろいろむずかしいよな。

QUIPの記事にもあったのだけど、これくらいまでの時期の下北沢は本当に個人企画のイベントが多くて(好きな子が、好きなバンドに声をかけて興行を打つ、というやつ)それがいつも本当に楽しかった。バンド同士も仲が良くて、バンドが主催する企画も多かった。どちらもほんとうにラヴ・コネクションなブッキングなので、ひとつのバンドを見に行くのではなく、最初から最後まできっちり楽しめる企画。いま、そういう企画ってとても減ってるような気がする。いいバンドは数あれど、あるひとつの「シーン」として勢いがあるわけではなさそうだ、残念ながら。

ちなみにワタクシが一番はじめに運営側に回った企画は1999年、Travel Air 4000というGash主催のイベント。ゲストはbump of Chickenでした。そして、今のところ最後のアオキ企画は2002年3月の、ソフトタッチvsASIAN KUNG-FU GENERATION!こっちも、バンドも、今となっては信じられないくらいの身軽さだったなー。その後一度解散したソフトタッチも昨年末に再結成、6/2にクアトロで再び会えるのが本当に楽しみ。


うーん、この話、どこにどう着地するんだろうか?とりあえず、ラブストの話はもう少し続きます。