演劇集団キャラメルボックス「トリツカレ男」

「なにかに本気でとりつかれるってことはさ、みんなが考えてるほど、ばかげたことじゃあないと思うよ」
「そりゃもちろん、だいたいが時間のむだ、物笑いのたね、役立たずのごみでおわっちまうだろうけれど、でも、きみが本気をつづけるなら、いずれなにかちょっとしたことで、むくわれることはあるんだと思う」


湘南新宿ラインにゆらゆら揺られてサンシャイン劇場まで行ってきました。冬のキャラメルにバッドエンドなし。なぜならそれはクリスマスだから!劇団員オンリー(総勢17名!)の公演で、ひさしぶりに西川さんとみっこさんが出ていたのも嬉しかったなあ。

今回はいしいしんじ「トリツカレ男」を原作に採っているのだけど、この原作がもう好きすぎるのですよ!電車の中でさっと読めてしまうくらいの小品ですが、絶対に電車の中で読んではいけない。どぼどぼ泣いちゃうから。すぐになにかに「トリツカレ」てしまうジュゼッペが、ペチカという異国の少女にトリツカレて=恋をして、彼女のために、彼女の笑顔のために、自分が出来ることすべてをやろうとするおはなし。そう、すべてをやってしまうのです、彼は。

ただ、原作となによりも違う、そして生身のお芝居にしたことでいちばん魅力的に移るのは、「Once Upon a Time...」と語られるようなどこかの国のいつかのお話に、こんなにしっかりとした背景とキャラクターを立ち上げていること。

「舞台はイタリアの片田舎、ジュゼッペが働くのは心持ちの大きなオーナーと体の大きなシェフ、女運は悪いけど人のいいカメリエーレがいるリストランテ。はつかねずみはちょっとカルめのところはあるけれどジュゼッペの一番の友達で、不器用な彼の手を引き、背中を押し、彼の想いを成就させるために心を砕く。一見無口だけれど、それは言葉のせいで、ほんとうはとても陽気であかるい少女、ペチカはお母さんの喘息の転地療養のためにロシアからやってきて、いざイタリア語を話そうとすると、どこで覚えたのかずいぶんいなかくさい語彙が混じり出す(しばらく働いていた花屋さんのせいかな)。ジュゼッペの幼なじみの新聞記者は、最近ローマからやってきたキザな同僚とソリがあわなくて、でも仕事と友情(友情?)の間でゆらゆら揺れて。ツイスト親分は悪人だけどどこか憎めない虫好き(あ、ネタばれ?)だし、ダンナに先立たれたジュゼッペのお姉さんはいつも夢見てばっかりの彼のことを心から心配してる。姪っ子は口が悪いけれど、ほんとうはジュゼッペのことが大好き!」

そう、原作で固有名詞で呼ばれてるのって、ジュゼッペと、ペチカと、タタンとツイスト親分くらいなのよ!それでも、もとからあるセリフはほとんどそのまま。冒頭に引用したいっちばん好きな台詞も、そのまんま語られていて嬉しかった。帰りの電車で原作を読み返すと、ぜんぶ彼らの姿で置き換えられちゃう。なんか、たのしいなあ。あ、すでに原作を読んでいる人は、三段跳びで風船を捕まえるシーンとか、ハツカネズミとオウムのやりとりとか、ラストシーンに向けてのジュゼッペがどんなふうに舞台上で演じられるか興味ない? すごいぜ。

原作の中では、お店をさぼっても、ふらりと姿を消しても「まったくあいつぁしょうがないトリツカレ男だ!」と言われるだけなんだけど(ほら、おとぎ話だからね)、芝居の中では、彼を心配するたくさんの大人が、無邪気な彼を「きちんとさせよう」とする。「みんなが誉めてくれるのよ!」「いい年してふらふらしてんじゃないよ!」「あなたには責任ってものがあるのよ?」って。だけど、ジュゼッペは自分にバカ正直なので本当に苦しむ。彼ほどではなくても、誰にだってあるはずなんだよね、損得勘定抜きで夢中になりたくて、譲れないもの。


ちなみにわたくしがいちばんグッと来たシーンは物語の序盤、ペチカにジュゼッペの言葉が通じた、すべてのはじまりの瞬間。言葉をつかって、お互いに思いが交わせるってほんとうに素敵なことだ。あと、タタン先生のすべて。さて、センセイである自分は雪闇のなかに消えていくようなことが出来るんだろうか。

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今回の観劇は「ブログライター取材企画」に乗せていただいたのですが、終演後20分で気の利いた質問なんか思いつけないって!他の人の質問と、その答えにほうほうとうなずくばかり。「役作りで意識したことはありますか?」という質問に、「ジュゼッペは人とうまくコミュニケートするのが得意ではないから、舞台上でできるだけコミュニケーションを取らないようにした」と答えた畑中さんの答えが印象的でした。そりゃ、ペチカに言葉が伝わったシーンが輝くはずだ。

堂島くんに焦点をあてたエントリは、Tomorrow's Songで。