急行は止まらないあと11分

金曜の23時過ぎ、混み合うホームを抜けて急行電車に乗った。目の前にはほろ酔いのじさまが三人。漏れ聞こえる話を聞くに、どうやら高校の同窓会があったようでずいぶんと楽しい時間を過ごしたよう。うちのこたちも50年後にはこんな風になるのかねえ、なんて思いながら発車を待つ。

発車時刻間際になると車内はぎゅうぎゅうに詰まって、ドア脇で本も読めないくらいにつぶされる。相鉄の急行は10駅くらいぶっとばし→各駅停車化 という不思議な路線なので、二俣川までのこのままつぶされていくのはいやだなあ、と思ったそのとき。

「おい、携帯しまってくんねえか」
と大きな声。さっきのじさまたちの一人(以下タヌキ氏)が、ドア前にいたサラリーマンに向けて発したよう。彼はメールを見るかするところ。

「いや、話すわけじゃないですから」
「電車の中で携帯使わないのは当然だろ。」
「画面見てるだけですよ?」
「今すぐしまえよ、ほら」
いやあ、はじまっちゃったなあ、という苦い空気があたりに漂う。走り征く急行、まだしばらく車内からの逃げ場はない。

「いい加減にしろ、こちとらペースメイカ入ってるんだ」
わ、そう来たか。それはゆゆしき事態、タヌキ氏が怒るのも道理。
「や、でも、それって大丈夫なんじゃないですか?心配なら優先席近くに行ってください」
「じゃあおまえ、俺の胸に電波当ててみるか?」
うーん、その返事はいただけない。タヌキ氏がずいぶんお酒を過ごしているにせよ、理は氏にある。最初は年寄りが説教をはじめやがった、と思っていた周囲の客もやや動揺。しばしふたりの応酬は続き、タヌキ氏が
「ざけんじゃねーよ、このバーカ」
と言い放ったひとことでリーマン氏の顔色が変わる。
「駅止まったら降りてくださいよ、ゆっくり話をしましょう」
と凄む。そろそろやばいな、これ、と思った瞬間にじさま衆のひとり(以下ロバ氏)が
「まあまあ、タヌキ、今日は楽しかったろ?そのまま帰ろうや?」と止めに入る。
「酔っぱらいの年寄りの言うことだから多めにみてくれや」
と小声でリーマン氏にささやく。リーマン氏もさすがに意気をそがれておとなしくなる。

そのまましばらくタヌキ氏のみみもとでナニゴトかを滔々と説きつづけ、ふっと身を離すとタヌキ氏ちょう笑顔。
「いやー、俺が悪かったよ、ホントに」
と高笑い。リーマン氏の肩をばしばし叩きながら
「ほんとにすまんかった、ほんとに」
ひとりで盛り上がりはじめる。リーマン氏はイヤでもないけど…という微妙な顔をしてそれに応える。俺たちは**高校の出身で…、という年寄り話にもきちんと応対して
「あ、俺じゃないけどダチがその高校にいってましたよ」
なんてノリのよいところを見せたりしている。ロバ氏曰く
「いやあ、最近の若いもんにしちゃあずいぶん気骨のいい青年だねえ」

なんだかこれじゃ「ちょっといい話」みたいじゃないか、と思いながら文庫本に目を上滑りさせていると、電車は二俣川に到着。
「よし、行くか」
突然タヌキ氏が言うので、あれ、和解したんじゃなかったのか?!と慌てる。なんのことはない、もとからタヌキ氏は二俣川が最寄りのご様子。
「じゃ、また来年」なんてかるく手を振る気楽さと重ねた時間の長さが少しうらやましくなる。
タヌキ氏が行ってしまったあと、残された二人が「あいつぁほんとに呑むとああだね、もう」なんてしたり顔で言っているのがおかしくてしょうがない。本を読む振りをしてくすくす笑った。

大和で電車を降りたあと、エスカレータの背後から突然声をかけられた。
「いやあ、どうもお騒がせしちゃいましたねえ」
ロバ氏である。
「ええ、ちょっとドキドキしました、電車はずっと止まらないし」
「年寄りはねえ、メールだのなんだのってわかんないんだよねえ。常に電波でてると思っちゃう」
「(その認識は間違いではないんだけどな)まあ、何事にも至らなくてよかったです」
「やー、ほんと、すんませんね」
「はい、じゃあ夜道にお気をつけて」

すっかり傍観者を決め込んでいたのに、これで私も物語中の人になってしまった。どこにでもあるような夜の話。